「クラブに関わるすべての人がここにいて幸せ」

と思えるクラブを目指して。

カンテラ

高校1年生〜高校3年生

U-16 U-17 U-18


『カンテラ』とは、「生え抜き」という意味でレアルマドリッドなどの名門クラブではその響きは一種 のステータスとなっています。『United』などへの登竜門として、枚方FCで培ってきた技術・ 戦術をベースに「枚方らしさ」を発揮してほしい年代です。決して他からの選手を排除するということ ではなく、見習うべき点や参考にすべき点は謙虚に取り入れながら、長年枚方FCで培った「枚方らし さ」をチームづくりに反映し、チームとしての完成度を高めてほしい思います。

​ユナイテッド

社会人トップチーム


「結束した」「結合した」という意味の『United』には、単なる愛称というだけでなく、以下の 意味合いを込めています。つまり、
①クラブにかかわるすべての人(幼児・小学生・ジュニアユー ス・ユースの選手たちとその保護者、コーチ、スタッフ、OB等)にとっての「集大成」、"結合"であ ること。
②ただ単にサッカーを楽しむ集団としてではなく、メンバーが決められた目標に向かって 個々の力・努力の"結束"を誓うこと。
③そしてその姿が、あとに続く後輩たちへの良い手本となり 、さらなる"結集"の力となること。
という3つの意味です。常にクラブ全体の方向付けをするチー ムであり続けるために、何よりメンバーの自覚が必要なことからも、『United~ユナイテッド』 と命名しました。

マスターズ

中高年者チーム

トップチームでの選手生活を終えた名手達が「優雅にサッカーを楽しむ」場がマスターズです。真のスポ ーツマンとして、スポーツを楽しむという遊び心を持った大人の人間の集まりです。自分たちが楽しむこ とのその裏には、お互い助け合いクラブの運営に参画する。苦しいことも分かち合う。そういうチームで あることを願って『マスターズ』と命名しました。OBや保護者のみなさんも助っ人としてお越しいただ き、楽しくやりたいと思っています。

スペリオール

保護者チーム


2007年度子供達のプレーする姿に刺激され保護者有志の方々が設立されたチームです。腕にいや、足に覚 えのあるリターンプレーヤーの方も居れば元野球部でサッカー経験ゼロの方も居られます。巧い下手に拘 らず和気藹々と子供達の練習する傍らでボールを追いかけています。参加御希望の保護者の方は現場でひと声おかけ下さい。

カテゴリー 年齢・学年ごとのチーム名
 

チャオ

幼稚園年中〜年長

U-6


幼稚園児からサッカーを楽しんでもらうことができるよう、2004年度から新設します。
6歳頃までに脳の神経系は大人の90%に達します。いろいろな運動にチャレンジすることが、脳の発達を活発にします。時には保護者の方も一緒になって、子供たちとサッカーを楽しみましょう。
『チャオ』とはイタリア語で「やあ!」という挨拶です。いつも元気で明るく、誰にでも大きな声で挨拶できる選手になってほしいと思うことから命名しました。

 

​ボンバーズ

小学1年生〜小学2年生
U-7 U-8


小学校1・2年生は、まずは楽しくみんなで遊びながらボールに慣れ、ボールの性質を感覚的に覚えることから始めます。そしてゲームを通じてサッカーの簡単なルールなどを学んでいきます。
この年代の子供たちにとって、最大のサッカーの喜びはゴールを決めることです。子供たちに1点でも多くゴールを決めてほしいとの願いから、1974年ワールドカップドイツ大会得点王であるゲルド・ミューラー(ドイツ)のニックネームであるBOMBER(爆撃機)にちなんで、『ボンバーズ』と命名しました。

ガンナーズ

小学3年生〜小学6年生

U-9 U-10 U-11 U-12

『ガンナーズ』とは英国のプレミアリーグの名門「アーセナル」の愛称です。小学生が着ている赤白のラグランのユニフォームはアーセナルと同じデザインであり、クラブが始まって以来、素材やメーカーが変わることはあってもそのデザインは変えることがありません。 9~12歳頃は「ゴールデンエイジ」と呼ばれ、どんな技術でも驚くほど早く吸収する能力を持っている年代です。枚方FC伝統のユニフォームを着ていることに誇りを持ち、「テクニックの枚方」と言われ続けるように頑張って練習してほしいと思います。

マシア

中学1年生〜中学3年生
U-13 U-14 U-15

勉強や一般生活についても教える寄宿舎を『マシア』と言います。FCバルセロナのマシアが有名で、 グアルディオラやデ・ラ・ペーニャなど、地元忠誠心の強い選手が出る所以でもあります。サッカー のみならず、生活態度やモノの考え方なども習得してほしい年代です。

 
2020 年度   スタッフ
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宮川 淑人 

みやかわ よしと

代表責任者

関西クラブユース

サッカー連盟会長
3級審判員

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石和 雅弘

いしわ まさひろ

ガンナーズ 総監督

小学6年生担当

3級審判員

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宇佐見 貴之

うさみ たかゆき

マシア

中学1・2年生担当

公認B級ライセンス

3級審判員

※ガンバ大阪から派遣

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藤田 透生

ふじた ゆきお

ガンナーズ

小学4年生担当

※ガンバ大阪とのパートナーシップ契約による派遣スタッフ

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森山 拳太朗

もりやま けんたろう 

ボンバーズ

小学2年生担当

※ガンバ大阪とのパートナーシップ契約による派遣スタッフ

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山端 海璃

やまはた かいり

チャオ

幼稚園担当

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田苗 駿一

たなえ しゅんいち 

サポートスタッフ

3級審判員

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下村 隆介

しもむら りゅうすけ

サポートスタッフ

3級審判員

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中村 建太

なかむら けんた

サポートスタッフ

4級審判員

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道法 信義​

どうほう のぶよし

サポートスタッフ

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須山 一樹

すやま かずき

サポートスタッフ

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村上 みゆき

むらかみ 

サポートスタッフ

事務局

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大島 勉

おおしま つとむ

スペリオール(保護者)責任者

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今井 恵一

いまい けいいち

後援会長

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平井 直樹

ひらい なおき

ユナイテッド

カンテラ

マシア 総監督

社会人・高校生・

中学3年生担当

3級審判員

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村上 禎浩

むらかみ よしひろ

チャオ

ボンバーズ 総監督

サポートスタッフ

事務局

公認D級ライセンス
3級審判員

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徳野 統斉

とくの とうせい

ガンナーズ

小学5年生担当

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上村 健太

うえむら けんた

ガンナーズ

小学3年生担当

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山口 哲也

やまぐち てつや

ボンバーズ

小学1年生担当

3級審判員

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谷 大希

たに ひろき

ゴールキーパーコーチ

※ガンバ大阪とのパートナーシップ契約による派遣スタッフ

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平井 亮佑

ひらい りょうすけ

サポートスタッフ

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坂井 涼誠

さかい りょうせい

サポートスタッフ

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羽田 雅法

はねだ がほう

サポートスタッフ

4級審判員

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片岡 康太

かたおか こうた

サポートスタッフ

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蒲原 真一郎

かもはら しんいちろう

サポートスタッフ

4級審判員

​教員免許

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小山 知将

こやま

マスターズ

責任者

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道下 秀次

みちした ひでじ

IT責任者

3級審判員

クラブの歴史
 

1969

​昭和44年

4月

体格、体力、協調性などの劣りがちな団地っ子のために、開成小学校の児嶋先生(故人)が近江(当時有沢総合病院外科部長)にコーチを依頼、中村昭二氏がマネージャーとなって、サッカー指導開始。

1970

​昭和45年

4月

元教育長山田先生(故人)、榊原先生、小西隆一氏が協力、開成サッカースポーツ少年団として正式発足。

12月

山田先生の御尽力で教育委員会が開成小学校に水銀灯を設置、夜間練習可能となる。

1972

​昭和47年

4月

その後、香陽、山之上、五常、春日などの校区の学童も加わったので、香里ヶ丘少年団と改称。

8月

小学6年生(第一期生、安井のクラス)、全国の強豪チームを招待した第一回清水招待大会で健闘3位入賞。

12月

当時は、けって走るチームばかりで、枚方のボールを持つ自由な試合ぶりが異彩を放ち、第五回兵庫県少年サッカー大会に招待され、県下54チームの中からみごとに優勝。巧技とセンスは絶賛を浴びた。
◎近江コーチ「サッカーノート上巻」出版

1973

​昭和48年

12月

小学4年生から始めた第一期生の中学進学を機に、小学生から大人までの一貫教育と、地域に根を下ろした社会体育サッカークラブを目指して機構を改め、枚方フットボールクラブ(略称枚方FC)と改称。
◎近江コーチ「サッカーノート下巻」出版

1974

​昭和49年

2月

小学6年生(第二期、佐々木博和のクラス)、抜群のドリブルで高石市主催第3回大阪府下少年サッカー大会優勝。

1975

​昭和50年

5月

◎近江コーチ、サッカーマガジン誌に「新サッカーノート」、一年半にわたる連載開始

1976

​昭和51年

2月

小学6年生(第4期、村川兄のクラス)、第5回大阪大会準優勝。

1977

​昭和52年

8月

ユースチーム(当時高2の安井など一期生と高1だつた佐々木)、長野県大町市で行われた第一回全国クラブユース大会で優勝
当時の美しいサッカーは今なお語り草となっている。

9月

中2(第4期、村川兄のクラス)河内長野で行われた第一回府下クラブ中学大会、中2ながら圧倒的巧技で他の中3をよせつけず優勝。

​12月

小学生時代から関西では有名だった佐々木博和(第2期)は、中学生になると、日本サッカー史上比類ない名手と言われた。
この年、来日したペレ(ブラジル、サッカーの王様、キング・ペレと呼ばれた)も注目。「できれば私が育ててみたい。」と語った。その後、最少年の16歳で日本ユース代表に選ばれて、翌年、中国戦出場。鮮やかなドリブルで人々を驚嘆させた。ユーゴスラビアのリエカ大会にも出場。

1978

​昭和53年

4月

世界ユース大会(東京)に備えて、広く人材を求めた日本協会は、それまで学校チームから選んでなかったユース代表に、クラブの選手も採用。安井真(第1期)がヨーロッパ的センスを買われて、クラブ出身ユース代表第1号。さらに吉村雅文も加わり、学校チームから選ばれた佐々木とで、枚方FCからのユース代表は3名となった。

8月

佐々木、安井、吉村は、日本ユース代表欧州遠征に参加。なかでも、佐々木は大きな外人をスイスイ抜いて、「黄色いペレ」と大人気!ボールを持つと一斉に拍手歓声!日本人でもこんなに巧いのがいるのか、本当に日本人か?ブラジル育ちではないか?本当に17歳か?行く所、行く所で質問攻め。向こうの新聞に連日大きく扱われた。これまで何十回も日本チームが訪欧しているがこんなことは初めてで、監督、コーチはむろんのこと、在留邦人も鼻高々。

中3(第4期、村川兄のクラス)、西日本ジュニア・サッカー・サマーフェスティバルで、王者清水FCを破って初優勝。

​10月

安井(当時高3)、バングラディシュのダッカで行われた第20回アジア・ユース大会に日本ユース
代表チームの一員として出場。

1979

​昭和54年

10月

1期生大学入学後、大学クラブに入部していた宮川が、コーチとして枚方FCに復帰する。卒業生コーチの第1号であり、このころより近江監督のスタッフとして卒業生が集まってくる。

11月

小6(第8期、吉岡弟、田家兄、目見田兄弟のクラス)、小柄なため苦戦しながらもよく頑張り、第3回大阪府知事杯少年サッカー選手権大会優勝。

12月

同チームは、近畿各府県の1位2位のチームが集まった関西少年サッカー大会でも優勝。さわやか杯獲得。近畿一となる。

1980

​昭和55年

11月

佐々木博和(第2期、松下電器)、初めて全日本Bチームに選ばれ、名選手クライフ(オランダ)のワシントン・ディプロマッツ(米)と静岡で試合。初めて大衆に巧技を披露。

1981

​昭和56年

3月

方FC出身の日本代表第1号・佐々木博和は、全日本Aチームの香港遠征に参加、外国人記者から、
「シモセンのようだ」、と注目された。(シモセンは西ドイツプロ、168cm、欧州最優秀選手の名手)

◎近江コーチ、サッカーダイジェスト誌に、「手作りサッカー講座」二年半にわたる連載を開始。

​7月

中2(第8期、吉岡弟のクラス)、全国クラブ中2大会(交野カップ)優勝。

1982

​昭和57年

1月

中2、淡路招待大会優勝。

4月

当クラブOBによる代表チーム(成人)発足。大阪社会人リーグ加盟、5部よりスタート。同年全勝優勝。

1984

​昭和59年

2月

中2(第11期)、大阪クラブジュニアAリーグ優勝。

3月

第1回アーセナル杯開催、以後枚方FCの年中行事となる。

8月

高2(第8期、吉岡弟のクラス)を中心とするユースチーム、第8回全日本クラブユース選手権優勝。
変幻自在、技術の勝利と賞賛された。

第4回全国選抜中学生サロンフットボール大会、中1の部、準優勝(第12期)。

9月

第2回関西クラブユース選手権優勝。

11月

中3(第10期)、大阪クラブジュニアAリーグ優勝。

12月

代表チーム、大阪社会人クラス別トーナメントBクラス優勝。

1985

​昭和60年

1月

中1(第12期)大阪クラブジュニアBリーグ優勝。

2月

中2(第11期、田家弟のクラス)、第3回大阪中学生ミニサッカー大会優勝。

代表チーム大阪社会人二部に昇格。

父兄の白井隆氏を中心としたシニアチーム(HFC85)結成。

8月

高3(第8期)第9回全日本クラブユース選手権、延長で破れ準優勝。

中3(第11期)、大阪クラブジュニアAリーグ優勝。

1986

​昭和61年

1月

中2(第12期)、大阪クラブジュニアBリーグ優勝。

2月

中学Bチーム、第4回大阪中学生ミニサッカー大会、PKで惜敗、準優勝。

8月

中3(第12期、西山、小林のクラス)、第5回大阪クラブジュニアAリーグ優勝。
第1回全日本クラブジュニアユース選手権関西代表。

高2(第10期、村川弟のクラス)、第10回全日本クラブユース第3位。

12月

代表チーム、大阪社会人リーグ1部に昇格。

1988

​昭和63年

3月

高2、関西クラブユース準優勝。

5月

代表チーム、大阪府代表として大阪・岡山対抗戦出場。大阪府に数年ぶりの勝利もたらす。

福重圭二(第11期)、クラブユース選抜の一員としてフランス遠征に参加。

HFC85招待大会スタートする。以後年2回の行事となる。第1回はHFC85が優勝。

8月

中1(第16期、廣長、松本兄のクラス)、全国サロンフットボール大会優勝。

1989

平成元年

8月

神戸サマーフェスティバルで、中3チーム(第15期)決勝で清水FCに惜敗、準優勝。

1990

平成2年

3月

小5チーム(第19期、佐々木、中田のクラス)、頑張って、アーセナル杯準優勝、主催大会として最高の
大会であった。

4月

枚方FCレディースチーム発足。

6月

廣長(第16期、現桐蔭学園)ジュニアユース代表として、アジアユース大会出場、惜しくも日本は得失点差でアジア代表権を逃す。

1991

​平成3年

3月

石丸(第14期)、日本ユース代表候補として合宿に参加。

ユース第1回京都暁招待大会優勝。

8月

ユース(第14期・15期)クラブユース大会決勝で読売クラブに惜敗。準優勝。

9月

代表チーム天皇杯大阪府代表として関西大会へ出場。

10月

代表チームのOBチーム、マスターズ結成。

1992

平成4年

2月

ユース(第15期)関西クラブユースリーグ優勝。

近江達「日本サッカーにルネッサンスはおこるか」を自費出版。

3月

ユース第2回京都暁大会優勝。

4月

ユース京都教育大招待大会優勝。

1993

平成5年

5月

日本初のプロサッカー・Jリーグスタート。
枚方FC OB 佐々木博和 ヴェルディ川崎、宮澤 浩(ジェフユナイテッド市原)がプロ選手として活躍。

12月

廣長優志(第16期)ヴェルディ川崎へ入団。枚方FC OBで3人目のJリーガーとなる。

1994

​平成6年

4月

佐々木、川島、橋本氏らの御尽力で保護者会が正式発足。

近江 達

枚方フットボールクラブ創設者

Susumu ohmi

PROFILE

1969年、医師として働く傍ら、小学生にサッカー指導。

選手の自主性を重んじる指導法で注目され、

その寡黙なスタイルで「近江先生」として慕われる。

1979年、現代表 宮川にクラブ運営を託し、アドバイザーに就任。

晩年も自身がプレーヤーとして活躍。生涯 サッカーに携わる。

2013年1月11日逝去。(享年 83歳)

サッカー界の様々な分野で活躍中のクラブOB

2020年のJクラブのキャンプが始動しています。枚方FCのOB4名が現役選手として、2名がチームスタッフとしてシーズンを迎えます。活躍を期待し、機会あれば応援よろしくお願いします。

●岩城孝次(第4期生)
 京都サンガ チーフトレーナー
●石丸清隆(第14期生)
 モンテディオ山形 監督
●山田尚幸(第28期生)
 ブラウブリッツ秋田
●齋藤和希(第37期生)
 カターレ富山
●武田太一(第38期生)
 ヴォルティス徳島
 

■グラスルーツ推進・賛同パートナー認定されました

枚方フットボールクラブが日本サッカー協会よりグラスルーツ推進・賛同パートナーとして認定されました。
クラブ創立以来変わらぬ基本理念ですのでこれによってなんら変わることなく『クラブに関わるすべての人がここにいて幸せ』と思えるクラブを目指していきます。
引き続きご指導、交流をお願いします。

グラスルーツ とは

■ガンバ大阪アカデミーとパートナーシップ契約締結のお知らせ

このたび株式会社ガンバ大阪と枚方フットボールクラブはJクラブと地域クラブが共生し、よりよい関係を形成することを目指し、ガンバ大阪アカデミーとパートナーシップ契約を締結いたしました。
以前からガンバ大阪から枚方FCに指導者を派遣いただいておりましたが更に強いパートナーとしてコラボレーションを目指して参ります。

今後もガンバ大阪からは枚方フットボールクラブの育成指導現場へのサポートおよび地域貢献、枚方フットボールクラブからはガンバ大阪サポーターとしての応援を積極的に行います。
引き続き枚方フットボールクラブの活動、ガンバ大阪へのご支援、ご指導をよろしくお願いいたします。

枚方フットボールクラブ
代表責任者 宮川淑人
2017年11月1日

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